沖浦啓之監督講演 「アニメ新世代を語る」〜映画「ももへの手紙」への思い〜 書き起こし

東京工科大学 | 八王子オープンキャンパス

場所:東京工科大学八王子キャンパス 片柳研究所B1F大ホール
時間:2012年3月24日(土)10:30〜12:00
2011年文化庁メディア芸術祭・優秀賞を受賞した映画「ももへの手紙」。「人狼 JIN-ROH」の沖浦啓之監督が、7年もの歳月をかけた待望の新作です。4月公開となる話題の本作品について、沖浦監督ご自身が語るエピソードの数々。
ぜひご来場ください。

会場となっている東京工科大学オープンキャンパスの一環で沖浦啓之監督の講演会が開かれました。私は入学希望者ではありませんが、入場制限などはなさそうだったので参加してきました。定員500人ほどの会場は半分が埋まる程度。ほとんどは入学希望者と思われる高校生(男子が多かったか)それと保護者で、私のような一般人は見当たらず。作画オタクが詰めかけるかと思ってましたが、宣伝が不十分だったのかも。なので会場の反応を見ても、沖浦監督を知らない人が多かったようです。
沖浦監督は『人狼』のメイキングビデオ(後述)の時よりも丸顔、ややふくよかになった印象でしたが、氏の仕事を思わせる抑制の効いた話し方は変わっていませんでした。
アニメーターとしての仕事については作画@wiki - 沖浦啓之などを参照。


書き起こしに関して、要約した部分もありますが、微妙な表現については喋りをある程度そのまま文字にしました。小見出しは私が付けました。
以下から書き起こしです。


<入場>
今回は対談形式。相手の浜野保樹氏は4月からこの大学で教えることになっている。以下、太字が浜野氏

『もも』へ到るプロセス

<『ももへの手紙』予告編>テレビでは流れていない長尺のバージョン


実は沖浦監督はこの前に『人狼』というアニメーションを作られて、何年前でしたっけ?

完成したのは1998年か99年で公開が2000年です。


人狼』から12年。私はプロダクション I.Gの役員をやっているから、監督がどれだけの苦労をされて『ももへの手紙』にたどり着いたかをよく知っているが、なんでこんなに時間がかかったのか?

ほぼ全ての部分に時間がかかっている。どこということではない。


皆さんに強調しておきたいのは、アニメーションはほとんどがマンガ原作。するとキャラクターやストーリーやカット割は基があるから費用がすごく削減できる。しかし『ももへの手紙』はすごく珍しいオリジナル作品。今オリジナル作品を作るのは本当に大変で、「作りたい」と言って作れるのは宮崎(駿)監督くらい。まだ若いのにオリジナル作品を作れるのが沖浦さんの力。これに到る経緯を聞きたい。

世の中に沢山アニメーションがあって、テレビで週90本やってた時代も。ただ僕を含めて身の回りの人間は、よくテレビで見るアニメーションの絵柄とか内容とかだとどうしてもあまり面白くないというか、リアルな絵でないと自分の技術が生かせないという部分がある。リアルと言っても幅はあって、『もも』もそんなにリアルではないんですけど。ただ人間をどう見るかとか、どう描くかということに関してのリアリティとか、そういう部分が求められるアニメーションがなくて、そういうものがやりたいと思ったら自分が作るしかないという状況がまずあった。今回はたまたまプロダクション I.Gのいつも一緒にやっている野口課長と話しているときに「面白そうだからやってみるか」となったのがきっかけ。


沖浦さんはもちろん監督もそうなんだけど、原画マンとしてはおそらく世界で指折りの方。『パトレイバー』とか…ジブリの作品は?(やってないです。)メトロポリス』とか『ビバップ』とか『イノセンス』とか、『攻殻』はやってたんだっけ?(『攻殻』はやってます。)私の友達にジェームズ・キャメロンという監督がいて、彼が『攻殻機動隊』が大好き。アメリカのリアルなアニメーションは実写で撮ったものの上をなぞって描く。ディズニーとかも。キャメロン監督はてっきり『攻殻』もそうやって描かれたと思っていた。でも沖浦さんたちはいきなり描く。それでジェームズ・キャメロンは驚いて、沖浦さんを欲しいと思った。なぜかというと撮ってなぞると費用が倍になるから(笑) それぐらい(沖浦さんは)国際的に注目されてる方というイメージがあるが、今回は「家族」というテーマで、そこに到る経緯は?

色々個人的な心境の部分もある。ただ元々子供向けの明るい作品が好きなので、子供向けってほどでもないんですけど(笑) 元々そういう方が趣味では好き。仕事では割とハードなものが多かったが、普段の生活にはそういうものが全く無くて、今回普段自分が接しているものに近い作品にしたかった。


私はジブリの役員もやっているが、宮崎さんがよくおっしゃるのは「周り3メートルにあることを自分は映画にしている」ということ。それと通じるものがある。でも(本作の)舞台が瀬戸内海なのはなぜか。

僕の出身は大阪だが、家は元々広島県鞆の浦の出で、漁師をやっていた曽祖父が外国航路の機関士になって大阪に出てきた。祖母も広島出身、学者の叔父もまさに瀬戸内海を研究している。それがきっかけで『人狼』が終わった後に広島を巡った。その後『もも』を作ろうと思ったときに、舞台を自分にとっては大事な瀬戸内海にしようかなと。


記憶を紡いでいったらそうなったと。

やっぱり自分に関わりのないものを描くのは大変なので、取っ掛かりとしては自分に関係あるもの、もしくは興味があるものを掘り下げていくのが一番作りやすい。


私が18歳のときに黒澤明監督の仕事『どですかでん』に関わったが、その時に監督がいつもおっしゃっていたのが「記憶にないものは描けない」ということ。宮崎さんの「周囲3メートル」と同じ意味。

そうですね。宮崎さんも本当に3メートルという意味ではなく、手の届く範囲というか、隣にいる人間にもドラマがあるとか、そういった一つ一つの積み重ねという意味だと思う。


私が沖浦さんの映画を信用しているのはそこ。スピルバーグとかは「映画を観て思いついた映画」だが、沖浦さんとか宮崎さんとか黒澤明とかは自分の体験から紡ぎ出している。

監督のこれまで

(会場に)この中で映像の仕事に就きたい人は?その中でアニメーションは?割と少ない(笑)

映像の仕事に就くというイメージのない人は大多数というのは、何を目指してるんですか


ちょっと遠慮があるんじゃないかと。まあインターネットとかそういうのもあるかもしれないですね。(ああなるほど)でも沖浦さんが若いとき、18歳のときはインターネットがなくて、何を

もう仕事してましたね。16から仕事してますから。


なぜ16で仕事ができたのか

やりたかったからとしか言えない。とにかく早くアニメをやりたかった。


何歳ぐらいのときから?

一旦高校には行かされたが、結局2ヶ月しか行かなかった。当時の公立高校は管理教育的で、予想はしていたがその通りだった。


よく親御さんは(中退を)許しましたね。

許すというか途中からは諦めてくれた。逆に一生(アニメーターを)やっていくつもりだったので、学歴とかはない方が潰しがきかなくなるのが自分としてはいいかなと。


退路を断つというか、自分を追い込んでそれ以外で勝負する所がないようにするんですよね。宮崎駿さんは人の悪口を言うとかね。もう作品でしか勝負できなくなる。でもすごい危険だから自分に自信がないとできない。

まあおすすめはしない(笑)


昔はアニメーションを学ぶ所がなかったしね。

話はずれるが、宮崎さんの時代は大卒が多い。宮崎さんが学習院ですか。学習院の漫画研究会。)僕らの世代は大卒はほとんどいない。いま活躍してる人は高卒か専門卒。


16歳で仕事を見つけてくるっていうのがすごい。

「見つけてくる」というか、たまたま大阪に師匠がいてたスタジオがあって、そこを訪ねて入れてもらった。


どうやって入れてもらったの

自分が入れるアニメ会社の募集があるかと雑誌を見ると、高卒以上と書いてあったりして「これはまずいな」と思ったが、絵を持ってうちの師匠のスタジオを訪ねたときに、「アニメーターになりたいんですけど、でも中学しか出てないんですけど」と言ったら、師匠が「ああ俺もや。まあ明日から来いや」と言ってくれたので。それで次の日からプロみたいな。(笑)


今はそう甘くない。希望者も多いし。

もう30年前ですからね。


(会場に)状況が違うから誤解しないように。それでなぜアニメーションを目指したのか。

目指したわけではなく、子供の頃からずっと作っていたのでその延長。


なぜ好きになったのか。

それは分からないが、動かしてフィルムで撮影して音を入れたりした時の喜び。あと学校の文化祭で年に一回上映して発表するんですけど、そのときにあまりの反響の大きさに、先生たちも中学生がこんなものを作れるのかっていうことで素直に驚いてもらえて。そういう自分たちが表現できるという楽しさが身近にあった。


作ってそれを人に見せる行動力が子供としてはすごい。

たまたま友達のお父さんがカメラマニアだったから、8mmのカメラを見せてくれたりという環境もあった。


その喜びは今でも変わらないですか

そうですね、全く変わらないですね。

人狼』について

沖浦さんの『人狼』は世界のアニメーションの歴史で大変重要で、セル画の長編アニメーションとしては最後の作品。(まあその後も色々…)まああるんだけど、本格的なものとしては。(『人狼』は)プロダクション I.Gが自分たちがたどり着いた技術をここに込めて残そうというプロジェクトでもあった。私は社長の石川さんと仲良かったから、完成したから観るかっていって五反田にあるIMAGICAという試写室に行ったら、これのアニメーターが全員来て試写室に。普通は偉い人が深々に座って観ているわけですよね。要するにもうこれでI.Gはセルは劇場用アニメーションでは使わないということだから、最後の歴史の転換点になる作品をそこに関わったアニメーターが全員、床に座りきれなくて。それを僕も一緒に観てて、終わった途端に若いアニメーターがわーっと拍手してすごく感動したんですよね。「ああ一緒に歴史を共有できた」と。それ以降ほとんど日本のアニメーションもデジタルにシフトしていった。セル画のアニメーションの技術的なピークはディズニーの『ピノキオ』だと言われてて、第二次大戦前の作品ですよ、それ以降セル画の技術はずっと落ちてきたっていうのが定説だったんだけど、私は『人狼』が世界一のすごいセル画の技術だと思っている。でも実はこれもデジタルちょっと使ってるんだよね?一瞬。

最初はもっとデジタルが使えると思っていたので、絵コンテの段階では「ここはデジタルで」というメモを書いていたが、どうもそんなにデジタルすごくないぞっていう。当時は逆にデジタルを使わない方が良いと途中で分かってきたので、もうデジタルは避けて全部手描きにしようと。だからデジタルが何カットか最初の方に固まっているかもしれない。


セル画の技術を記録に残そうと、私がお役所からお金をもらってきてメイキングビデオを作った。その映像をちょっと見ていただく。7年前の沖浦さんが映っている。(笑)

タバコを止めてからちょっと太ったらしい(笑)


人狼のメイキング映像>


路面電車が出てくる辺り、この映画の技術的なレベルの高さを紹介した部分がある。手描きのアニメーションで大変なのは縦糸。物体が画面の奥から手前、手前から奥を移動するときに、パースに沿って比率が変わっていく。CGだと簡単だが、それを手描きでやるのは普通は嫌がる。沖浦監督はあえてそれをやっていて、日本の技術レベルを示す優れた事例。


<『人狼』の都電のシーン>


曲がってるんですよ、手描きで。すごい技術だよね。

そうですね。ただ都電のところを描いたのは平松さんという方で、いよいよ「これはやってられん」ということで、途中でGAINAXの内部にお願いして箱のような簡単なモデルを作ってもらって、それを抜き出して原画にするということはやっている。ただ、描いてるのは変わらない。


それはあえて縦糸を入れたのか。普通はあまりやりたがらないが。

そこまで考えてなくて「どうにかなるだろう」ぐらいにしか(笑) 当時は背景を縦に移動させるのは無理だけど、セルに描くものに関しては縦に移動できることが考え方としてベースにあった。難易度はやってみて気づく。ただとにかく都電に入れ込んでたので、都電が走っている良い資料があんまりないんですね、映画とか色々見たんですけど。だからどうしても都電が走っているところを見たくて。作画のスタッフにぶーぶー言われたんですが(笑) 「俺は見たい!」ということで頑張ってもらいました。

実写とアニメとリアル

宮崎さんは最近できるだけコンピューターを使わないようにしているが、縦糸だけはCGを使っている。だから本当にこの技術に日本のアニメーターが達していたのは誇り。

『ももへの手紙』でも車とかすべて手描きで描いている。一部フェリーとかどうしようもないものは3Dなんですけど。作っているときに遊びに来た人に出来た映像を見せると、みんなやたらに車に反応するんですよ。「車がすごい!」って(笑) 手描きはすごいって。何が違うかというと、セル描きの中にCGの車が入ってると無機質なモノになってしまう。ところがそれと同じ形のものを目指して正確に描こうとしてるんだけど手で描いていると、目指しているものは同じもののはずなのに、どこかキャラクター性を帯びてくる。触れるものになってくる感じがして。生活感も表現できるというか、新しいピカピカなものじゃなくてちょっとポンコツな感じも出せたり。人が描いてる狂ってる部分でそういう部分が出せたりする。その車に対するみんなの反応たるや全然予想もしてないくらいに、それは勿論プロだからというのもある。一般の方から見たら別にどちらでも構わないと思うんですけど。実際のプロから見ると「車がすごい!」と。士郎正宗さんもやたらそこに感激してくれたらしくって。


沖浦さんの作品とかジブリの高畑監督とか、海外に行くと「こんなにリアルだったら実写でいいじゃない」と必ず言われる。有名なタレントとか俳優を使ったほうが広告効果あるから。「どうして実写じゃなくてアニメーションなの?」って海外の人が聞く質問にどう答える?

人狼』当時は逆にあれをセットでやるのは無理。今はセットとCGを組み合わせれば『三丁目の夕日』のようにできるが、当時の日本の実写の映画の技術でそんなこと出来るはずもないという感じだったので、アニメでやるしかないというのが当たり前ではあった。ハリウッドではかなり技術があったので、何でもできるという感じだったが。あとは自分が別に実写の映画を撮りたくもないし、観るのは別に好きですけど、作りたいとは思わないので。アニメーションしかできないからアニメでやるしかない。


同じ質問を高畑勲監督にしたことがある。「お前は馬鹿か」「実写がリアルでアニメーションがリアルじゃないという前提が間違ってる」と言われて、そのとき『平家物語』というのを準備されていて、当時の日本人は平均150cm、胴が長くて首がほとんどなくて、そういう俳優いないだろうと。今の17歳なんてガキの顔だって、昔の17歳は大人だよ、みんな40くらいで死んじゃうから。それを今の俳優で足の長いジャニーズ系の男の子に甲冑着させてもリアルじゃない。ちゃんと調べて『平家物語』をアニメーションでやった方がリアルだろって言われて。なるほどね、と説得されちゃったけど、その意見はどうですか。

僕もそう思います。僕もよく言うのが江戸時代の男性の平均身長は155cmとか、戦時中でも軍服とか見るとだいたい160cmぐらい。日本の家屋の建具の高さはだいたい175,6cmで、それは150cmの人からするとかなり自由が効く。今僕も日本家屋に住んでいるが、頭をちょっと下げないとぶつかってしまう。今だとマンションの廊下の幅が1mだと狭い気がするが、昔は別によかった。着物を着た時の座り方一つにしても、所作の一つ一つにしても、今の人には再現できない。ただ昔の映像の技術は今ほどではなかったかもしれないけど、例えば勝新さんとか、昔のもう亡くなってしまった俳優さんたちがやってた頃の時代劇というのは、みんなハマってるんですね。着物も完全に着こなしてるし。考証とかそういうことではないリアリティが体から出ているという。あの迫力というのは江戸時代との地続きだった戦後のしばらくの間まで、高度経済成長、それが人狼の世界ですけど、それまで繋がっていたという。それを今の役者でやると一回途切れてしまっている部分がどうしてもあって、見ていて辛いものがある。戦争ものとか、時代劇とかそれが痛々しくて見ていられない。やっぱりアニメのほうがいいのになあと思う。


アニメーションの基本が「見たことのないものを見せる」ということがあるが、実はリアリティを持ったストーリーと背景とか周辺のものを見せるという別のベクトルがあって、それを日本が支えている。沖浦さんを代表として高畑監督とか、原監督とか。それが非常に分厚い日本のアニメーションの力になっている。藤子不二雄先生とか石ノ森先生とか黒澤の大ファンで、ある時漫画家の先生をポケットマネーで集めて、黒澤作品を作れるくらいのお金を出すから時代劇を作ってくれということでご紹介して引きあわせた。残念ながら作れないとおっしゃった。なぜか。役者がいないから。「誰がいる?」という。俳優がダメだと映画は撮れない。先程勝新とおっしゃったが刀を抜いただけで「痛そう」と思う俳優がいないだろう。だから撮りたいんだけど撮れない。とおっしゃっていた。※この辺り不明瞭

だから昔の二十歳の人を描くのに、人間味を出すには今は40の人を使わないといけないという時代。新選組の当時の若者達の実年齢とそのやってたことのすごさ。同じ年齢の人を今もってきても大変なことになってしまう。


いろんなことを勉強して、映像にしていけるっていうのは全部そうなんですね。監督ってすごく大変で、黒澤くらい格があると、カップの色はどうしましょうボトルは何にしましょうとか時計はどんな時計で何色…と全部監督に聞くんですよ。アニメーションもそうでしょう、全部監督が知ってる。

いや全部ではないですが(笑) 元になるものは自分で描いてる部分も多いので、わかるものは指示しますし、資料をある程度揃えて、「大体こんな感じです」って目につくものを言って、あとは背景の部分なら美術監督さんのセンスの中でやってもらって、その中でバランス的に好き嫌いというところの話が出てくるものに関しては、これは今赤いですけど青に出来ませんかとかということはあります。

監督という仕事

ヨーロッパで一番尊敬を受けるのは建築家と映画監督。なぜかと聞くと森羅万象を知っているのはその2人しかいない。建築家は寝る所、食事する所、それこそおしっこ、うんちまで含めて全部知ってないと建物できないし、それと同じことが映像を作る監督にも言える。だからすごく尊敬を受ける。人間とか自然とか環境とか宇宙とか全部知ってる、そのことに関する敬意なんだってある偉い人がおっしゃってたけど、そうですか?

いや…(笑)ただ昔の大工の棟梁がすごいなというのは、図面とかがちゃんとあるわけではないところでどっかの田舎の農家を立てるとしたら、そこに生えてる雑木の中から使えそうなものを選んできたりして建てていく。そのときに松の梁だったりすごい曲がりがあって、それを空間的にどう組み立てていけば美意識にもかないながら機能もあって、さらにどんな使い方にするかということが全部頭の中に最初から3Dになっている。今はツーバイフォーとかの木造の木組みがあって、やっぱりツーバイフォーの家っていうのは、誰がやってもできるように釘をばんばん打てば出来るようになってるみたいなんですけど、大工さんに聞くとやっぱりそれは面白くないんだと。大工としては木をちゃんと組んで作りたいと。それはともかく、そういう全てを美的センス、身体感覚、もちろん測ってはいるでしょうけど、名もない農家で素晴らしい建物がいっぱいありますから。恐るべしと思います。


リスボンへ万博の視察へ行った時、通訳の方は日本語を黒澤映画で学んでいた。翌日黒澤明が亡くなった時の新聞を見せてもらったら、一面から7ページまで全部黒澤明の記事だった。地球の裏側の人までが作品を語ってくれる。だから変な話だけど沖浦監督が亡くなっても、『人狼』も歴史的な作品だけど『ももへの手紙』もすごい本当にいい作品なんだから、表現はあなたの存在を超えて残っていくんだよね、それは嬉しいよね。

死んでしまえばもういいんですけどね(笑) 僕は基本アニメーターだと思い込んでるけど、演出家っていうのはやっぱり自分の恥をかいていく仕事だと思っているので、自分がどう考えているかとか、日常何やってるかとか、女の人のことをどう見てるんだとか、そういうことがすべて画に出てくる。そういうものを感じさせることで皮膚感を出そうとしているので。それを恥ずかしがって隠そうという人もいるし、敢えて出そうという人もいる。だから作品というのは自分の恥の塊みたいな部分もある。だからいつかは忘れ去られてくれるとは思うんですけど。

そんなんだったら何年も一つの仕事しないよ(笑)いいかっこしてもダメだよ(笑)

そうですね(笑)


僕の大好きな言葉で、あるとき(グラハム・)ベルに「電話を発明していろんなことを変えましたね」と言ったら「僕はシェイクスピアよりは偉くないんだ。シェイクスピアは時代を越えて言葉を伝えた。」という素晴らしい言葉がある。作品も同じで時間軸を越えていく、そう思いません?

アニメーションじゃなくても実写でも時代を越えて残っていく作品は本当に限られていて、メディアの側でもVHS→DVDの段階でDVD化されない作品は出てくるし、さらにBD化されない作品も出てくるし、その中で残っていけるのかどうか。


でも今いいと思っている作品が残っていくかどうかわからない。キネマ旬報の一番はだいたい歴史に残ってない。『七人の侍』は去年イギリスで英語以外で作った映画史120年のベスト1に選ばれた。キネマ旬報はその当時冷めてた。130年の映画史で世界一の映画で『七人の侍』を選ぶときに、それが日本で1位にも選ばれなかったのは、時間軸を越えると何かが違ってくる。それは作った人の思いがきちっとしてれば掘り出される。だから今がいいから、というわけではない。


質疑応答の前に本作のプロデューサー紹介。松下慶子さん。20代の女性。プロダクション I.Gで原画をされている。ここの専門学校のOG。沖浦監督とはI.Gで出会って2005年の企画の立ち上げ、取材から参加している。
併せてI.Gの脚本家の方も。櫻井圭記さん。4月からこの大学の特任。プロダクションI.Gの企画室で脚本家をやっている。『攻殻SAC』の脚本など。大学院では(今回の対談相手の)浜野先生の研究室。

質疑応答

<質問1>沖浦監督は元々明るい作品が好きだが、『人狼』もそうだが仕事ではハードなものが多く、『ももへの手紙』は明るいものになったと。それを「心境の変化」とおっしゃっていたが、そこを詳しくお聞きしたい。

「心境の変化」と言ったんですけど、だいぶ前、20代に『走れメロス』の作画監督をやって、それが自分の中では一番大事な作品で、明るい、真面目なところもあるけどちょっとギャグっぽいところもあったりとか。そういうところに立ち帰りたいというのがずっとあった。『人狼』をやっているときはその世界が大好きでやっていたが、その後『イノセンス』という作品は『GHOST IN THE SHELL』からの繋がりで黄瀬和哉という友達がやっているなら自分もやらないと寂しいなと思ってやったが、これも非常に重い作品で、完成したのを見て、もう腹の底からイヤになりまして(笑)いや作品が良いとか悪いとかではなくて。「これを作って誰が幸せになるんだろう」というのがよく分からなくて、この作品を苦労して完成させて観てる俺が幸せじゃないぞ(笑)というのがどうも腑に落ちなくて。

松下P:映画館出て思ったんでしたっけ?

初号で観て。それ以来観てないんだけど。重い気持ちになる映画も世の中には必要だと思うが、俺には必要ないなと思って。もう嫌だなというのが心境の変化というところです。もしかしたら今後また重いのがいいと思うかもしれません。


<質問2>今日初めて沖浦監督を知った。監督の仕事をされてて一番思い出したくない失敗は。(会場笑)

思い出したくない失敗…どうですかね… それはもう言いたくない…(会場笑)言いたくないなあ…
思い当たることはありますけど、思い出した瞬間に保ってる人格が(笑)、崩れますね…
ただ自分にとっての失敗が人にとっての失敗でないこともあるので、自分の中ではずっと「しまったなあ」と思っていることでも周りの人から見たら全然気になってなかったり、それをむしろ良いと思ってくれてる人もいたりということもあると思うので、それに期待しながら生きてますけど(笑)


<質問3>(この大学の先生から)『ももへの手紙』で一番「ここだけは見とくように」というシーンがあれば。

それはないですね。

「ここだけは」じゃなくてもおすすめの、一番苦労された所というか

あんまりそれはこちらから言うことではきっとなくて、もし映画館に足を運んでくださる人がいれば、何らかの興味を持って来てくれると思うので、それで観た上で「どこにも興味わかなかったな」と思ったらそれまでなんですね。

プロデューサーは違いますよね(笑)

松下P:そうですね(笑) 監督と7年間この作品に向き合ってきて、延々その間、放置してた期間とかはなくて、毎日毎日、目の前のカットでキャラクターを描いて背景を描いてずっと全部をチェックしていまこういう感じなんですけど、『ももへの手紙』という作品はタイトルだけ聞くと「固く真面目なお話なのかな」と感じるかもしれないが、、実際のところ親と子の絆、絆っていうとすごく軽く聞こえてしまうんですけど、親になったときの立場で見れたり、子供が親のことをどう思っているかとかをいつも近いところにいる人の気持ちというのはわからないんですけど、そこを言葉で説明してしまうんじゃなくて、絵で見せるというか、キャラクターの芝居で見せてくれる映画。子供のときの親の見え方と、親になってから子供の知らない部分を見たり、親が子供だった時の気持ちとかがいろんなキャラクターの立場で見ることで立場によっての見え方の違いを観る方におまかせ。大切な人が近くにいるということを感じる作品にはなっているんじゃないか。


アニメだけじゃなく表現に携わりたい若者へ一言。

若いときに何十年後の自分は想像できないと思うが、日本の現状から見ると40になって仕事に就いてないということは全然あり得る社会。それを多少でたらめな生き方で生きれた時代は良かったけれど、今はもしかすると絶えず自分の将来を睨みながらいないといけない時代かもしれない。勉強したり、自分のスキルを積んだり、向いているものを見極めていく中で、さらに自分がこれが好きだ、やれるものが見つかっていく時間を持てることが一番大事かなと思う。若いときにしか持てない自信とか頑張れる時ってあると思うので、一生懸命やれることが今思っていることと違っても、見つかるのが楽しいと思う。


<退場>


関連:『ももへの手紙』公式サイト