AR(拡張現実)の未来に対する願望と妄想

iPhoneセカイカメラや他のARアプリの登場でやっと話題になってきたAR。しかしまだ長いハイプ曲線を登り始めたばかりであって、今の姿のままコモディティ化するとは考えづらい。そしてそれは「セカイカメラDX」というようなものでもないはずだ。盛り上がっている割にはその未来を語る人が少ない気がするので、ここでARの未来像について自分なりに書いてみたいと思う。ただ自分の頭の中をそのまま垂れ流すと電波じみてしまうので、分かりやすいようで分かりにくい例え話にしてみよう。

現在のARの表現方法は、現実世界に電子情報を重ね合わせるオーバーレイ方式ばかりだ。これを例えるなら"ふりかけご飯"(ご飯にふりかけが乗っている)である。

しかし米の料理法は、もちろん"ふりかけご飯"に限られない。

私の妄想の一つを例えるならチャーハンだ。チャーハンを美味しく作るコツは、米の一粒一粒を油でコーティングしパラパラにすることだ。(もし料理法で検索してきた人がいたらこちらへ) 
 ここでの米の粒は個体や物体ひとつひとつというよりも、生体的な反応の単位を想定している。それを実現するには現在の技術では難しいかもしれないが、そこへ向けての蓄積は始まっている。

料理法についてもっと踏み込むと、米を半殺しや全殺しにしてご飯ではなく"おはぎ"や"ぼたもち"へと姿を変えてしまったり、炊き込みご飯のように、炊く前に味付けをしてしまうようなことが起こるのでは、と考えている。

現在のAR技術が今の姿をしているのはそれなりの理由があってのことだとは思うが、早くもっとワクワクするような未来が来てほしい。